パルムのような心

フリーのシンガーソングライターで活動しています。好きなことをやってなりたい自分になることが夢です。

東日本大震災が起きた時と、その後①

ホテルで働いてもうすぐ1年が経つ頃。

2011年3月11日に東日本大震災が起こりました。

 

14時46分、私は宴会の準備のため、着物を来て会場の準備をしていました。

最初の揺れでは、"地震きたな~"くらいにしか思わなかったんですが、段々強くなり立っていられなくなった時に、"これ、やばいな"と、事の重大さに気付きました。

パーテーションもガタガタ揺れて、このまま崩れて落ちてきちゃうんじゃないかとか、初めて外的要因で"死ぬかもしれない"と思いました。

 

ようやく揺れが治まると、周りにいた従業員が皆焦りだし、一先ずすぐにフロントまで行き、何台かの車に分かれて高台などに逃げました。車の中、ラジオから津波がすごい高さで押し寄せているという内容が流れていました。家族や親戚、友達の安否や、これからどうなってしまうんだろうという不安しかなかったですが、メール等で色んな人に連絡を取り、皆無事で、安否確認はとることができました。(今は引っ越していますが当時実家も高台にあったため、無事でした)

 

雪がちらつく中、完全に夜になり、ホテルに戻りました。

幸いなことに近くで津波の被害はなく、ホテルの建物自体がひび割れたり、という程度で済んでいました。

寮はもともと古いという事もあり足場が崩れてしまうという危険性があったため、寮に住んでいた私を含めた従業員は1階の客室を借りて泊まることになりました。

当然ながら、電気・水道・ガスのライフラインは全て止まっていました。

 

よく状況も理解できないまま、疲労だけが残り、その日は就寝しました。

翌日からは水の確保や、調理場の方は使える食材で皆の分の食事を作ってくださいました。有難かったです。。

 

そんな中、いつライフラインが復旧するか分からないことや、ホテルの営業もどうなるのかという状況で、日に日に皆にストレスが溜まっていくのが分かりました。私もその一人です。

 

そして震災5日目、ライフラインが復旧しました。

一番感動したのは電気が点いたときで、今でも点いたときの瞬間を覚えています。とりあえず携帯を充電しました。

暗いとどうしても気持ちまで暗くなってしまうんだなあと、電気の有難みが分かりました。

 

私たちの生活は当たり前のようで当たり前じゃなくて、着るものがあって、食べる物があって、明るい部屋にいれて、お風呂に入れて、寝る場所があって、、とても恵まれていたんだという事を、震災が気づかせてくれました。

 

ライフラインが復旧したとは言え、ホテルは修理をしなければ営業できなかったので、私たちは"自宅待機"となり、上司の車で実家近くまで送って頂きました。

 

 

次回に続きます。